福澤諭吉は台湾の歴史、人種․文化․地形的複雑性(数多くの原住民、原住民と選 抜漢族との混血)、数多くの国家との接触、文化的多様性、原住民の移動史を知らな い。彼は極めて単純だ。山形有朋的な利益線·主権線·野蛮人·非道に貫かれ、無知の結 果自由な暴力を与え、日本が何の制限もなく暴力を振る舞ってもかまわない解放区に した。 丸山は福沢諭吉を救済するための涙ぐましく試みる。攘夷ないしは排外主義的風潮 に対して一貫して拒否感を示した福沢も、朝鮮·支那との外交問題に関しては終始一貫 して積極的介入論者であった。この二つが表現上矛盾しているように見えるが、福沢 の心理では一つにつながっている。 教祖主義的 儒教に対する拒否感。 丸山における野蛮、半開、文明は福沢と同様絶対的ではない。文明の様態から西洋 も野蛮に転落する可能性をもつ。すなわち、丸山は福沢が現実の西洋を相対化したと 語る。 しかし、福沢の第2、3期台湾はあまりにも可哀想で悲惨だ。丸山は 思想 と 歴史 を分類して福沢を弁護しようとするが、普遍と特殊の間で福沢は特殊、要するに国家 への磁場はあまりにも強烈だ。