「家の芸」とは、その家に代々伝わる特殊または得意の技芸をさすもので、主に日本の芸能世界で用いられる言葉である。17世紀に始まった演劇である歌舞伎の場合も、早くからこの「家の芸」の概念がみられる。歌舞伎が飛躍的に発展し、第一の全盛期を迎えた元禄期には、市川団十郎家の荒事や坂田藤十郎の和事のように、各役者の家門は自ら得意とする芸風を確立していた。やがて19世紀半ば、七代目市川団十郎は先祖から継承されてきた市川家の荒事芸を顕著に現わす演目を集め、「歌舞伎十八番」という家の芸を制定した。そのあと、九代目団十郎が父の偉業を受け継ぎ、歌舞伎十八番を完成している。
一方、家の芸の制定は、家の芸風の確立と権威付けという本来の目的から派生し、新しい伝統づくりという役割が付加されるようになる。すなわち、伝統的な歌舞伎演目ではない新作歌舞伎を従来の歌舞伎のレパートリーの中に仲間入りし、権威付ける試みである。その嚆矢は、九代目団十郎が明治時代に入り、自らが初めて披露した新作の時代物をまとめた「新歌舞伎十八番」である。それ以降、二代目市川左団次の「杏花戯曲十種」のように、先祖代々ではなく、自分が創演した演目を家の芸として制定する動きが頻繁にみられるようになる。戦後、家の芸選定に尽力してきた三代目市川猿之助の「猿之助四十八撰」に、彼自身が創演または演出した伝統的な作品を含めて、エンターテインメントの要素を強めた現代風のスーパー歌舞伎の演目が収められていることは特記すべきである。
家の芸を選定する行為自体は、明らかに歌舞伎は古典芸能であることを認め、その伝統を維持․保存するための努力に他ならない。しかしながら、以上に言及した家の芸コレクションの存在意義の拡大に鑑みると、歌舞伎は「伝統」の名のもと「革新」の動きが絶え間なく続いていることを見逃してはいけないだろう。
本稿では、歌舞伎役者による家の芸の制定の歴史とその特質を概観したうえ、とくに新歌舞伎を中心とする「杏花戯曲十種」とスーパー歌舞伎が収められた「猿之助四十八撰」を検討し、歌舞伎界のなか「伝統」の外延が拡大していく様子を提示する。