This paper attempted to examine how contemporary Japanese literature perceives the Kim Hi-Ro incident, which occurred in 1968, on the 100th anniversary of Meiji. In particular, Fukuda Tsunaeari's What do you know!was released in the form of a play and a scenario immediately after the incident The purpose was to examine how they parodied the so-called “cultural group” that visited the scene of the incident to persuade and to examine how contemporary Japanese literary and intellectuals have embraced/edited minorities.本稿では明治100周年に当たる1968年に起きた在日朝鮮人による金嬉老事件について、同時代の日本文壇はどのように認識したかについて分析を試みた。特に、事件直後に演劇およびシナリオの形で発表された福田恆在の『解ってたまるか!』では、事件現場に説得に訪ねたいわゆる「文化人」について、どのようにパロディーしたのかを考察した。
その結果、同作品では主人公の名前や国籍、職業、故郷などが異なるだけでなく、事件が起きた場所や人質の国籍、文化人グループ、結末の不一致など、ディテールな設定が実際の事件と異なっている。しかし、まるで「見せ消ち」技法のように、細かいところで差異を設けることにより、逆に事件の真相や全体像に迫ろうとする構えを取っている。
また、主人公の村木と文化人グループの間で交わされる「解る/何が解る」という喜劇的な問答フレームを通じて、犯行動機の正当性と純粋性そのものよりはむしろ村木の反論に尽く転覆する文化人グループの非論理性が浮上する。これにより、金嬉老が逮捕された直後に表面化した日韓メディアの露骨な報道の変化や文化人グループの態度の変化について、同作品では知識人の言説が持つ権力性と虚構性についてコミカルなパロディを通じて批判的に問題提起したと解釈出来る。