日本社会における障害者は、時代や地域を問わず差別や偏見の中で共同体から排除される社会的弱者であった。 つまり、現代学術用語として定義すると、サバールトンだった。 本稿で取り上げた神話の中の蛭子も、奈良時代の行基の説話の中でも、蝉丸伝承を通じても分かるように、障害者は捨てられたり隔離されたりする存在であった。しかも障害を抱いて生まれた子供は産婆によって殺されたりもした。 実際、江戸時代だけに限って見てみても、捨てられたり、殺されたり、非人扱いされたりした迫害の事例は、数多くの文献を通じて確認できる。
その一方で、障害者は家の中に福をもたらす守護神として、または労働力によって直接金銭をもたらす福子、宝子として崇められたりもした。そして障害者であったため捨てられた蛭子は商業の神、海の神として復活し、今の日本社会でも根強く信仰されている。まさに障害の克服であり昇華であると言えよう。
本稿は、前近代日本社会の、いわゆる「言えない」社会的弱者として生きていくしかなかった障害者の表象と認識を通時的に考察し、彼らが障害を克服あるいは昇華させる、言い換えれば、障害者が日本社会の社会的․文化的周辺から中心部に入ることができるのか、もしできるのであればその転換の方法や可能性、そして限界を考察したものである。