日本占領期に朝鮮を訪れた日本人が書いた「朝鮮紀行文」は、朝鮮における彼らの体験や感想を生々しく記しており、当時の日本の人々の朝鮮認識を理解する上で有効な文献と言える。戦前期、多くの日本人、特に官僚や軍人、文学者、研究者などといった、いわゆる「帝国のエリート男性」が朝鮮のあちこちを訪問し、その記録を紀行文として残しているが、その点においては芸術家たちも例外ではなかった。日本の芸術家たちにとって朝鮮は、取材地や旅行地であり、仕事の場でもあった。と言うのも、朝鮮は日本から最も近い「異国」でありながら、彼らが最も行きやすい土地、すなわち「外 国」ならぬ「外地」だったのである。しかしながら、このような芸術家たちの大部分は自分の経験を絵で表しており、彼らの「言語化」された経験が研究対象として注目․考慮されることはほとんどなかった。 本稿では、以上のような状況を踏まえて、日本近代画壇における最も重要な人物の 一人であった洋画家、石井柏亭(1882-1958)の朝鮮旅行記繪の旅を取り上げ、朝鮮に対する画家の認識を明らかにする。具体的には、金剛山と京城という場所、そして妓生との出会いについて述べた内容に焦点を当ててテキストを分析し、朝鮮に対する石井の自他認識を考察する。韓国と日本の近代画壇で主導的な役割を担っていた画家、石井柏亭の業績および著述を韓国国内に紹介し、彼の紀行文の分析をお通して、近代芸術家の朝鮮認識を明らかにすることが本稿の目的である。