『百撰百笑』(1895·1904)は江戸時代の浮世絵の混種として明治時代の一般大衆の間で 流行したものである。今では日本の貴重な伝統文化となった浮世絵も、明治に入って情報 伝達機能の役割を担ったが、すぐに多様な変種が生まれ、一種のサブカルチャー文化を形 成した。江戸·明治のサブカルチャー媒体と現代のサブカルチャー媒体とは、発生の側面 では異なる点が見られるが、それが持つ強い大衆性からみると、むしろ結果的には此処彼 処政治·社会的機能としての役割を果たしてきたという非常に類似していることが発見され る。
本稿を通じて、『百撰百笑』の形式は江戸時代の庶民が楽しんだものと類似している が、内容面では「他国に対する侵略戦争」という素材が活用され始めたことを明らかにし た。それは一般の「小さな物語」から国家の「大きな物語」へと移行する時代の変化を反 映し始めたということである。戯画のようなスタイルを利用した点、つまり庶民が以前か ら馴染み深い文化享受の手段であったメディアであったため、開戦論者の立場であった者 は、この点を十分に利用できたと考えられる。