日本社会において「共生」の言葉が登場する際の背景を見ると、社会的弱者の権利 と人間の尊厳を回復するために展開された市民運動の中で「共生」の概念が実践され ていることが伺える。1970年代の日立就職差別闘争は、在日コリアンが中心となり、 日本社会での共生を求めたもので、日本人と在日コリアンとの連帯を通じた共闘であっ た。これらの共生の理念は、現在、中央政府により行われている多文化共生政策に批 判的視線を提供してくれるだろう。
本論文では、日本社会が標榜する多文化共生政策の10年間の評価について検討を試 みた。2006年に提出した「地域における多文化共生プラン」は、外国人を単に支援の 対象にだけ見ておらず、地域社会の構成員であり、生活者として規定したという点 で、日本の外国人受入れ政策に大きな転換点となったと言えよう。しかし、多文化共 生政策の10年間の評価をみると、共生社会を推進するための体制の脆弱性が明らかに なった。外国人受入れに対する国と政府の統合政策がいまだに確立しておらず、多文 化共生を地域社会に一任している点が課題として指摘された。
外国人住民を生活者であり、地域住民として受け入れる視点をさらに深化させなが ら、同時に外国人を他者化したり、周縁化しない共生はいかにして可能となるか。日 本人と日本文化の内的多様性に目を向けることにより、マジョリティー側の日本人の 同質性と固定性を問い直すきっかけが必要である。