韓国でのマルキシズム研究は、日帝下の弾圧、冷戦の最前線で政敵を除去する目的、そして独裁政権が政権延長するための反共イデオロギーによって、2021年現在でも依然として投資対比補償が少ない分野に属しており、学問の辺境と言える。
このような状況は、我が技術による人工衛生発射が中国․日本に50年以上立ち後れているという例を挙げれば理解しやすいと思う。
一方、日本におけるマルキシズムの本格的な研究は、1900年代初期に始まり、マルキシズム研究が実を結んだことを象徴的に示す出来事が、高畠基之の『資本論』完訳だ。1920年に始まった資本論の翻訳は1926年に完成した。
しかし資本論完訳とは別に、高畠氏のマルキシズム理解は主に国家観と関連しています。彼は、マルクス主義国家観の「国家死滅論」を批判し、「国家」の解放、「国家」の時空間の普遍性、「日本」における「国家」は「日本的な内容」(端的に天皇制)で満たさなければならないという論理を説いている。
何らかの側面から見れば、高畠氏の「国家社会主義」の「転向」は、(1)日本の思想家あるいは普遍主義思想の天皇制への収斂あるいは回帰、(2)左翼と右翼の概念を再確立すべきという課題、(3)運動圏出身の韓国政治家に見られる思想の遍歴を理解するための良い事例になりえる。
マルキシズム研究および高畠の事例は、韓国政治及び、過度に資本主義に偏った研究の是正、現在と未来の韓国社会をより丈夫にする礎になると期待する。