일문목차
序=i
第一章 滿州移民の前史 - 一九二○年代, 三○年代の飯田下伊那 / 鬼塚博
滿州移民を考える - 飯田下伊那から=3
第一節 アメリカ經濟と結びつく飯田下伊那=6
「ジャズと狂騷の一九二○年代」とシルク=6
養蠶と飯田下伊那の經濟=8
擴大する消費, 飯田町の發展=12
豊かさのなかの格差=12
さまざまな思想と運動=14
第二節 移民の土壤=16
外の世界への憧れ - 外からの情報=16
農村社會=17
出稼ぎ, 北米移民, ブラジル移民=18
第三節 世界恐慌と飯田下伊那=19
アメリカ經濟の破綻=19
恐慌の打擊=20
負債の增加=22
第4節 經濟更生運動と滿州分村移民=23
經濟更生運動=23
滿州分村移民=24
補助金に振り回される村村 - 「移住する人間さえ出せば金はどのようにも融通する」=25
まとめ - 飯田下伊那からのメッセ-ジ 1=26
第二章 滿州移民の送出と開拓地の生活 / 齊藤俊江
第一節 國策となった滿州開拓=31
愛國信濃村建設計劃と永田稠=31
試驗移民を武裝させて=32
廣田內閣で國策に=37
第二節 行け, 拓け, 滿州へ=39
村の新聞や映畵會·講演會·ポスタ-で宣傳=39
勸誘員が回って=41
村長など多くの人が滿州へ視察に行った=42
第三節 分村·分鄕により夢を抱いて滿州へ=43
移民割當人數は縣から郡へ, 郡から町へ下りて=43
全國一多くの移民を送り出した下伊那=45
松島親造は自由移民を募って=46
町村會が母體の下伊那鄕=48
分村して移民した五つの村=50
女性も開拓花嫁として=54
第四節 靑少年義勇軍と敎育會=56
マンガで描かれた「あなたも義勇軍になれます」パンフレット=56
宣傳用寫眞を撮りに行った熊谷元一=58
義勇隊の割當てが學校へ來た=60
下伊那農學校で拓務訓練を受け, 一四歲で義勇軍參加を決意=62
內原訓練所で訓練を受けて=65
第五節 滿州の生活(開拓地は廣かった)=68
農業開拓團 - 苦勞した農業經營=68
義勇隊の生活 - 起床ラッパの生活=81
子どもたちの生活 - 自然いっぱいの中で遊んだ=84
第六節 滿州移民に反對した人びと=88
平澤家の先導者と反對者=88
反對した村長たち=91
靑年會發行『靑木時報』=92
まとめ - 飯田下伊那からのメッセ-ジ 2=93
第三章 逃避行から引揚げへ / 本島和人
第一節 八月九日と滿州帝國の崩壞=99
八月九日の飯田=99
八月九日の開拓團=100
根こそぎ召集, 開拓團を盾に=104
八月九日の滿州國皇帝溥儀=105
八月九日の明城鐵道自警村=107
八月九日の牡丹江鐵道局=108
殘された開拓團とソ連軍の侵攻と暴行=109
第二節 集團自決の開拓團=112
山崎豊子『大地の子』と阿智鄕開拓團=112
大八浪泰阜村の集團自決=114
河野村開拓團の八月一五日=115
「俺はもうだめだ」團長の最期=117
一人が首をしめて, もう一人が=119
生き返ってはくれなかった=121
仕返しを引き起こした侵略と抑壓=122
第三節 開拓團死守と全員避難のはざま=123
最大の犧牲, 新立屯上久堅村開拓團=123
開拓團を死守しようとした團長=126
ソ連軍に捕らえられ殺された團長=130
集團自決への死の行進から避難へ=132
指導者の立應が遲かった=134
全員避難を決斷した開拓團=137
義勇隊の避難=139
第四節 一九四五年, 嚴冬の收容所=141
義勇隊の收容所生活=141
上久堅村開拓團の收容所生活=144
南五道崗長野村の場合=145
冬の收容所の中で最大の犧牲者=147
無力な個人が侵略の責任を負わされた=148
日本政府の對應と引揚げの遲れ=149
內戰と冷戰のなかの東北地區=152
中國人に助けられ預けられた人たち=153
シベリアに送られた人たち=156
第五節 一九四六年春, 引揚げ=157
日本人會と引揚げへの動き=157
日부·日僑の遺送の開始とアメリカ=158
收容所に傳えられた引揚げ開始=160
留用という中國殘留=162
葫蘆島大遣返, 葫蘆島からの引揚げ=165
それぞれの引揚げ=166
佐世保, 博多, 舞鶴, 戰後の日本へ=169
まとめ - 飯田下伊那からのメッセ-ジ 3=171
第四章 滿州移民の戰後史 / 森武麻呂
第一節 引揚者=177
ふるさと飯田=177
滿州乞食=180
歸國者と未歸還者=184
引揚援護活動=186
第二節 戰後再開拓=190
ふたたび開拓へ=190
植竹一男の證言=192
下伊那地方の戰後再開拓=196
第三節 殘留孤兒·殘留婦人=202
引揚げ打切り=202
山本慈昭の悔恨=205
望鄕と再會=208
忘れられた女たち=210
第四節 記憶のなかの滿州移民=215
慰靈碑は語る=215
慰靈と忠魂=218
聞き書き集「下伊那のなかの滿州」=224
第五節 中國から見た滿州移民=227
方正の日本人公墓=227
中國の人びとは滿州開拓團をどう見ていたか=230
まとめ - 飯田下伊那からメッセ-ジ 4=234
おわりに / 森武麻呂
滿州引揚げ六○年と殘留日本人孤兒裁判=237
下伊那のなかの中國歸國者=239
戰爭責任と多文化共生=242
注(第一章~第四章, おわりに)=246
參考文獻=262
あとがき=267