王政復古を掲げて近代国家の仲間入りを図った日本では、天皇統治を正当化すべく、天皇が実権を持っていた古代に民族のルーツを求め、大和民族という概念を創出した。それは古代、ヤマトの支配下になかった東北のエミシや南九州のクマソ、ヤマト以前に日本を治めていたとされる出雲などの民族(概念)も共に生み出す。そして国家統合という偉業の敵役、王化に従わない地域の民と位置付けられ、蔑まれたりした。いっぽう戦後の日本では、単一民族・同質社会性が高度経済成長を齎したという言説が広がる中、日本人内部の多様性が不可視化され、マジョリティの民族名さえ曖昧となった。 本論文では、こうした日本における民族(観念)をめぐる混乱を検証し、大和中心のNation Buildingを「まつろわぬ民」=非ヤマト民族サバルタンの視点から見直し、日本人内部の多様性を解き明かした。在日コリアンやアイヌ民族に対しては、マジョリティとして近現代史上の歴史的責任を負うべき日本人の中にも、数多くのサバルタンが存在する。そうした人々が強者に迎合するのではなく、マイノリティと共鳴・連帯し、自国が多様な民族・人々の集合体であるという認識を共有し、異なる個性や文化を肯定し合うことで、他人事ではない多文化主義は実現できると筆者は考える。非大和民族サバルタンの主体化への試みには、民族意識の脱構築、多様性によって発展する今後の世界、多様な出自や文化を認め合うことで、より高い統合が生まれる新しい原理を主導し得る可能性があるのだ。