本稿は、以上の荷風の『断腸亭日乗』を中心として、荷風が震災後の東京を如何に描いたかについて論じたものである。第一に、荷風は震災後まもなく新宿と浅草という盛り場を徘徊し精査する。新宿は新興都市で、浅草は江戸時代からの盛り場で一度は寂れたものの、震災を機に再開発された都市である。 第二に、荷風は、大震災直後の10月3日にも、「外観をのみ修飾して百年の計をなざ(ママ)ゝる國家の末路は即此の如し」と述べた。『日乗』からは、あたかもその言葉を基底色としたキャンバスの上に、復興のあり様を描いているように感じられる箇所が随所に見受けられる。このように、荷風の散歩の意義とは、復興した都市風景の背後に忘れられた都市の記憶を蘇生させることにある。