本研究は、日本の「戦争の記憶」に注目し、歴史ナラティブの文学的特質を考察しようとするものである。研究の目的にあわせ、大岡昇平、原民喜、栗原貞子の文学作品を研究対象とした。これらの作品を通じ、帝国日本が起こした戦争に関連した一連の事件が、どのように叙事化されて記憶と認識を構築しているか、その叙事化の特質が何であるのかを探ってみようと思う。 これに向け、日本の侵略戦争について歴史ナラティブを通じ、「脱亜論」が戦略的に叙事化される事例を考察していく。その一方で、「犠牲者意識」に注目し、犠牲者意識を美化し、忘却の免罪符を与え、道徳的共感を得ようとする動きを探究する。最後に、被爆ナショナリズムに関する批判と戦争の記憶の歴史的な拡張をみせる歴史ナラティブの構築様相と特質について調べていくつもりである。 原爆をめぐる戦争の記憶と歴史ナラティブは、記憶と忘却、純化の過程を経る。歴史和解の可能性を模索するためには歪曲された記憶のナラティブを知らなければならない。結局、歴史的事件のナラティブがどのように再構成されているかを探ることは、記憶の歴史を反芻し、歴史的現在を正しい方向に導くことだと思う。