本論文では日本歌謡界の御三家と呼ばれた橋幸夫と舟木一夫、西郷輝彦が出演した日本の映画と韓国トロット業界の二大山脈と呼ばれた南珍と羅勲児が出演した映画を中心に、高度成長期における両国の歌謡映画の中で「恋」と「別れ」がどのように表象されているかを考察することを目的とした。 その結果、日本の歌謡映画は1960年代初めに製作され始め、韓国の歌謡映画は日本より少し遅れて1960年代半ばに登場し始めた。また、日本歌謡界の御三家の場合、映画には歌手一人ずつ出演するケースが多い一方、韓国の場合は二人の対抗意識を反映しながら南珍と羅勲児が同時出演するケースも多々あった。 特に、韓国の歌謡映画は歌手の演技力などでマイナス評価されることが多かったものの、映画製作会社はすでに定着した歌手のキャラクターとイメージを戦略的に活用して映画を作ろうと努力した。例えば、韓国の場合は当時の青春スターであった南珍と羅勲児のイメージを生かして都市と農村、近現代と伝統の対立や葛藤を描写すると同時に、主題的には韓国よりいち早く高度経済成長を成し遂げた日本の「太陽族」とオーバーラップさせながら、韓国の産業化と近代化の過程で必然的に発生する構造的な矛盾を巧みに捉えていると評価できる。