本論文は、日帝?制占領期に朝鮮で使われた<日本語?科書>を通して? 育においての差別的な視座を分析したものである。本?究の目的は、支配者側の差別的視線を分析する資料として<日本語?科書>を取りあげ、日本語?育と’同化主義’との?係性及び植民地?育の?態、それによる差別的?育意?を明らかにするところにある。日本は1911年から朝鮮の初等?育で、すべて日本語で書かれた?科書を??語?科書?として使用した。朝鮮?督府は、朝鮮に見合った<オ?ダ?メ?ド型>?育を念頭に入れつつ、朝鮮?育令の項目である?時勢及び民度?に合わせるなど、36年間第五期にわたって?科書を改編もしくは再編した。1912年に作られた第一期?科書では、’兄と弟’の儒?的な上下秩序をベ?スにして、日本は兄で、朝鮮は弟という’?化’に基づいた差別構造を作り出した。その後、1919年の3.1?立運動を機に、第2期と第3期?科書を編纂することになるが、表面的には親近感あふれる素材を使用しつつ’融和’を?調しているが、?科書に登場する朝鮮?童の名前を日本語?みに?えているなど差別的な視座を露にしている。また、?幸福な朝鮮人像?を打ち出して、?話と民話を神話に創り替えるなど、朝鮮人の愚民化にも手を?くことがなかった。第4期?科書では、??で奪った領土が示された地?を載せ、同和主義を一層?調したり、?州島の?話を神話に改正して?鮮結婚を?要した。このよ うに、建前としては朝鮮の?情を考慮する?科書をといったが、本音ではあるとあらゆる手段を使って朝鮮人を差別して植民地化に徹底したので ある。