村上春樹(1945∼)は『風の歌を聴け』1979)でデビューして以来、記憶と回想をストーリ展開上主な手法として使い、過去というものは現在の自分に影響を及ぼしていることを繰り返して語ってきた。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』は「記憶」と「回想」にアイデンティティーという問題を加えた小説で、今までとは違って、二つの異なる物語が相互交差しながら進行される構造のため、村上文学の中で最もユニークな小説として分類されたり、一種の転換点としてみなされている。本稿は先行研究を踏まえて『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』における「記憶」に主眼を置きながら、記憶がアイデンティティーと結び付き、そのことがもたらす機能やその役割などについて考察しようとした。これまで村上春樹は断絶された他者との関係のなかでいかにしてコミュニケートするかという問題を追及してきた。他者とコミュニケートするためには自分の現在を明確にすることが先行しなければならない。過去の否定や過去からの逃れではなく、「記憶すること」や「肯定すること」を通じた存在確認は現在を生きている「僕」の「居場所捜し」であり、結局時代的状況の中からの自分を見つけようとする欲求である。『羊をめぐる冒険』が全共闘の失敗から始まった幻滅と自己否定の物語だとすると、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』は自己肯定を通じて得た世界との関わりの姿を見せてくれる。デタッチメント(関わりのなさ)の姿勢を維持してきた春樹が『世界の終り…』を通して見せたこのような変化は、過去の記憶は未来の希望になってほしいという希望的メッセージを伝えてくれるとも言えよう。また、このような変化は全共闘の記憶という作家自身の過去の克服を見せてくれるのと同時に春樹文学の変化を予告する転換でもある。